当会で初伝として教授する正坐之部は、古傳に云う大森流に相当します。
この業系は第九代 林六太夫守政師の真陰流(文政二年 山川幸雅師より坪内清助師へ相伝の「神傳流秘書」表記ママ)剣術の師であった大森六郎左衛門正光の創出した流儀で、大森師は英信流を守政師の先代荒井清哲師に学んだとされています。
大森流は英信流を基に初心稽古用に創られたと考えられ、既存の英信流と各段意味相違無き故に守政師がこれを話して流儀に取り入れたとあります。
話してとは、真陰流の師である大森師か、先代荒井清哲師かは定かではありません。
つまり英信流、当会で云う立膝之部の後に成立した業系となります。
さらに当会での奥居合は古傳 抜刀心持之事に相当する業系ですが、神傳流秘書に抜刀心持之事 重信流とあり、初伝である正坐之部から奥に行くほど古の業へ回帰することになります。
次回より当会門人向けに正坐之部を一本ずつ稽ていきますが、正坐之部 大森流とは何か、という自論を前提として読み解いていく必要があるため、ここで藏會術儀師範としての自論を記します。
個人的結論から云うと、大森流は実戦想定の形ではありません。
業ごとの想定、理合の項でのちほど理由は晟かになりますが、正坐之部は想定の間合や対手の動きに無理矛盾が多く、形のまま実用は現実的ではないと考えます。
しかしその動作は居合に必要な身体操作が集約されており、じつに合理的に組み立てられた基本稽古法です。
元々実戦想定の長谷川流(現在の立膝之部)が存在したうえで創られた技法であり、立膝之部へ入る手前に修得すべき身体運用を稽古する形として編纂、導入されたと考えるものです。
また、不肖が古傳研究で大変お世話になっている、土佐藩の時代背景に詳しい同流の先生に伺った処、やはり実戦想定ではなく、土佐藩の藩校教育に用いられた「体育」としての側面がある、との見識でした。
以降、この前提で解読を行います。
当会掟業の正坐之部と、古傳 大森流の業はほぼ同じものですが、業名は全く異なります。
当会伝承名称/古傳名称 の順に記します。
正坐之部/大森流
一本目 前/初発刀
二本目 右/左刀
三本目 左/右刀
四本目 後/當刀
五本目 八重垣/陽進陰退
六本目 受流/流刀
七本目 介錯/順刀
八本目 附込/逆刀
九本目 月影/勢中刀
十本目 追風/乕乱刀
十一本目 抜打/抜打
当流と同源の夢想神伝流では五本目の陽進陰退が「陰陽進退」となっていますが、それ以外は古傳大森流とほぼ同じ名称で伝えています。
五本目については江戸時代に陽進刀、陰退刀の続け遣いとされており、陽進陰退が正と思われます。
陰陽進退は語呂が良いので取り違えて伝わったのかもしれません。
次回から門人向け「口傳」ページにて、正坐之部 前/大森流 初發刀から一本ずつ読み解きます。
直系福井聖山師傳、我が師 清田泰山師口傳、想定、理合、技法、砕きを不肖の知る限り備忘録してゆきます。
