無雙直傳英信流 武蔵野稽古会の系譜 其之一
無雙直傳英信流は神夢想林崎流、田宮流などの古流居合流派と同じく、室町時代の武芸者 林崎甚助源重信が山形県楯岡林崎にて開眼、創始した居合術の直系を標榜しています。
当会 無雙直傳英信流 武蔵野稽古会の道統としている系譜では、七代相傳者に長谷川主税助英信師という達人があり、この道統を継いだ八代相傳者 荒井清哲師に師事し九代相傳者となった土佐藩士 林六太夫師が土佐へこの流儀を持ち帰り、以降土佐、現在の高知県で受け継がれてきた流儀とされています。
明治維新以前の当流では完全相傳制を採っており、皆傳免許の証「根元之巻」を享けた傳承者は、それぞれの弟子へ皆傳を允可する権利を持っていました。
つまり同流であっても皆傳允可がされるたびに傳承者が枝分かれし、複数の相傳者が同世代に存在する事になります。
明治以降、版籍奉還、壬申戸籍、廃刀令により武士という職業が消滅、武術指南という商売が成り立たなくなり、江戸以前から連綿と繋がれてきた武術の各流派に失傳の危機が訪れました。
この時、土佐藩出身の政治家 板垣退助公の肝煎りにより、無雙直傳英信流を高知に残すための運動が起こりました。
旧制中学の課目に居合を取り入れ、失傳の危機にあった英信流の継承を板垣公より十六代後藤正亮師に託され、その後大江正路(おおえまさじ)師を十七代宗家として、中学生の指導に当たらせました。
中学で大江師に師事したかたがたが、日本全国へ移り住むことにより英信流は土佐以外へ広がっていきました。
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無雙直傳英信流 武蔵野稽古会の系譜 其之二
幕末当時、土佐の伝承は大きく分けて谷村派と下村派の二つが主流でした。
大江正路師は若年期に下村派を学び、戊辰戦争へも出征、明治に入り谷村派十六代後藤正亮師に師事し谷村派を修業、谷村派十七代相傳者、宗家となりました。
一方下村派においても十四代下村茂市師、十五代行宗貞義師、同十五代細川義昌師、古傳探究の依代となっている曽田文献を遺された十六代曽田虎彦師などに受け継がれています。
谷村派は大江正路師以降、宗家制を確立し現在に至っていますが、大江師の門下で、土佐の山内容堂公の孫である山内豊健師を中興とする山内派、また行宗貞義師、細川義昌師などに相傳された下村派などは唯一人の宗家制とせず、相傳者は第何代相傳者、或いは第何世となります。
昭和になり戦後の混乱期、谷村派では高知に宗家承継が可能なかたが居らず、大阪の河野百錬師が第二十代宗家を継ぎましたが、高知県外へ宗家を出す事を良しとしない師も多く、一代限りで高知へ戻す事を条件に承諾されたとの逸話があります。
河野百錬師は剣道家でもあり、戦後GHQへの働きかけにより剣道の復旧が認められ、全日本剣道連盟(以下「全剣連」)が発足した際、居合道も包括した組織を要望しましたが受け入れられなかった為、居合の各流派宗家と連盟して全日本居合道連盟(以下「全日居」)を発足されました。
その後、全日居の隆盛と居合人口の増加につれ全剣連も居合道部を創設し、一度は全日居との合流も試みられましたが双方の条件が折り合わず物別れとなり、今日に至ります。
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無雙直傳英信流 武蔵野稽古会の系譜 其之三
二十一代宗家は先述の条件により、河野百錬師の次は高知人へ承継されるはずでしたが、河野百錬師が次代継承者を指名せず急逝されたことにより、全国へその門下を拡げた一門の内部では承継者問題が起こりました。
結果として、全日居の中核である無雙直傳英信流(正統会)は岐阜の福井聖山師が二十一代を承継、これを是としない高知の英信流居合人の方々は元々次代継承者が内定していたとされる高知の師を谷村派、下村派両派統一の宗家として袂を分かちました。
河野百錬師の高弟であった別の師も別団体を発足し別れ、こちらも継承宗家として活動され、現在はこの師を初代に数え新派として継承されています。
当会直系の宗家である第二十一代福井聖山師は無形文化財を認定されるなど、居合の文化的価値を確立し全日居をさらに躍進させました。
当会傳承の系譜で佐藤歩水会長と不肖の師である清田泰山師は、大正10年肥後熊本上士の家系に生まれ、陸軍士官に進みました。
昭和16年、昭和の剣聖 中山博道師の高弟である額田長師に師事し、大森流(現在の正坐之部に相当)を学びます。
戦後、同門末次留蔵師に学び、昭和46年、東京都小平市で山内派二十一代相傳者 川久保瀧次師に師事、無雙直傳英信流山内派を学びます。
川久保瀧次師は戦後復員後、仙台で山内派止水会を作られ、小平市へ転居後に小平市居合道愛好会を立ちあげ、盟友であった土佐英信流 大田次吉師と共に第二十代河野百錬師の全日居に加盟、全日居関東地区連盟を立ち上げました。
その後、清田泰山師は第二十一代宗家 福井聖山師に師事、宗家直門として第二十一代の居合を修めました。
清田泰山師は昭和50年に小平市居合道連盟を設立、全日居の関東地区連盟副会長を務められ、平成12年に最高段位である十段範士を允可され、また福井聖山師より直門之証を授与されています。
清田泰山師は刀剣への造詣も深く、日本美術刀剣保存協会(日刀保)の刀剣鑑定で奥伝位を認定されており、また自身で刀装具、拵の製作などされておりました。
佐藤会長と不肖も小平市居合道連盟から清田泰山師に師事、今日に至ります。
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無雙直傳英信流 武蔵野稽古会の系譜 其之四
福井宗家の次代、二十二代池田聖昂師への継承後、福井聖山師と当代における教義の差異により、また一門に亀裂が生じます。
福井宗家直門、宗家継承候補者で関東地区連盟会長でもあった江坂静厳師も、二十二代池田聖昂師の傳承術儀と相容れず、別団体を発足し全日居を脱退されました。
ほぼ時を同じくして、清田泰山師も二十一代の業を正調として傳承すべく全日居を脱退し、一般社団法人 神州居合道連盟を立ち上げました。
当会会長 佐藤歩水師と不肖の所属した小平市居合道連盟も、このとき全員一致して全日居から脱退、神州居合道連盟所属となりました。
のちに佐藤会長、不肖とも清田泰山師より當流全種目皆伝、福井聖山師直門 清田泰山師直門之証を戴いています。
その後、佐藤会長と不肖は清田泰山師の小平市居合道連盟会長御引退に伴いそれぞれ独立し、清田泰山師の許しを得て、連名で無雙直傳英信流 武蔵野稽古会を設立、神州居合道連盟の加盟道場として平成29年8月5日より稽古を開始しました。
令和2年、清田泰山師の御引退を以て神州居合道連盟は解散し、当会は独立不羈の道場となりました。
尚、解散後しばらくしてから、会長と不肖の兄弟弟子にあたる方が清田泰山師の了承を得たとの事で、神州居合道連盟の名称で居合道団体を結成されていますが、当会は加盟しておりません。
現行同名団体の正統性に異を唱えるものでは全くありませんが、当会傳承の師は清田聖山師唯一人であり、解散前に師は会長と不肖へ直接、「神州(居合道連盟)は私が作ったものだから、誰にも継がせず解散する」と明言され、重ねて念を押された経緯から、当会にとっての神州居合道連盟はあくまでも清田泰山師により創設、解散した神州居合道連盟であり、現行の同団体とは別の団体であった、という認識を表明しています。
現在、清田泰山師より戴いた「神州(居合道連盟)は私で終わり、弟子への段位は貴方がたが自分でやりなさい」との御言葉に遵い、かつて神州居合道連盟を段位認定機関として創設した師に倣い、令和5年に段位認定団体「無雙直傳英信流 藏會」を発足、当会の段位認定を開始、今日に至ります。
「無雙直傳英信流 武蔵野稽古会の系譜」を終わります。
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