居合は主に刀を扱う武術です。
当会で稽古する無雙直傳英信流に関していえば、掟業として稽古している現代の業は全て刀を用います。
江戸時代まで遡れば、古傳の組太刀(土佐の伝承では“仕組”と云います)に刀を抜かずして対手を制する業体系もありますが、これも刀を腰に差した状態で稽古し、柄を取らせたり柄を利用したりして業を掛けます。
日本刀は手作業の鍛造による製作なので、長さ、反り、重ね(厚み)、身幅(棟から刃先までの幅)、重さ、さらには重さのバランスがそれぞれ違い、一振りとして同じものはありません。
美術品としての刀剣は姿、鍛え、刃紋、拵え、そして刀工などで好みのものを選べばよいのですが、居合に使う刀は使い勝手という実用面も重視される処です。
とはいえ、抑々居合とは居合わせた状況に対処する術なので、どの刀であっても臨機応変に使いこなせることが当然であり、突き詰めれば刀に限らず身の廻りの全てを利用して対手を制することが本懐です。
長い刀を短く遣い、短い刀を長く遣う。重い刀を軽く振り、軽い刀で重く切るよう心掛け稽古しなければなりません。
无拍
2019年6月8日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之二
居合の稽古に適した刀とはどういうものでしょうか。
単に居合といっても多様な流派があり、それぞれ特徴があります。
例えば当流 無雙直傳英信流で免許状として昭和初期頃まで発行されていたと思われる「居合根元之巻」では、源流である林崎甚助公は三尺三寸の太刀を遣ったと伝えられており、林崎源流から生まれた神夢想林崎流、林崎夢想流、古田宮流なども長刀を使ったようです。
一説に林崎甚助公は、お互いに帯刀した状態での接近戦において、当然有利な脇差を差した打太刀に対し、抜き辛い長い刀を差した仕太刀が、対手に接触した状態から打太刀を制する近接戦闘の業を工夫したといわれています。
互に抜刀し、ある程度の間合をもって対峙した状態であれば、幕末の大石進の例もあるように、一般的には得物は対手より長い方が有利です。
その長刀の弱点とは納刀の状態からの近接戦闘であり、戦闘技術は一般的に接近戦になるほど高等技術となっていきます。
近接戦闘で双方納刀の状態であれば単純に短い刀のほうが早く抜き付けることが出来、運剣も容易です。
これを敢えて長刀で克服することで、長刀の利を最大限に引き出すことも出来、また常寸ならばなお自在に扱えることを稽えた流儀であったとも考えられます。
長い刀を使って、敵の刃圏の外から一方的に切るような単純な流儀ではありません。
このような流派の稽古に適した刀とは、やはり短い刀より長い刀ということになります。
では当会の稽古する無雙直傳英信流においては如何や、を考えたいと思います。
无拍
2019年8月4日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之三
林崎直系を標榜する流派は当流の他にも様々な流派が現存していますが、長刀を遣うのは林崎と名を冠する神夢想林崎流など、現在の当流において主流である独演形稽古ではなく、組太刀を主とした古い流派になります。
対して当流と流祖を同じくする、古田宮流から五代以降の現代まで伝わる紀州田宮流の流れを汲む田宮流諸派、当会の稽古する無雙直傳英信流の諸派などは独演形を多く持ち、二尺三寸から二尺五寸程度の所謂常寸に近いものをよく使うようです。
元和偃武ののち徐々に実戦が過去のものとなり、武術が精神修養と紐付けされた時期であること、「幕議参考」などにあるように登城の際に差す刀の長さや拵が規定された時代背景が常寸流派醸成の歴史にはあるように思えます。
次回は当流の稽古に於ける視点で雑考してみたいと思います。
无拍
2019年9月1日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之四
当流 無雙直傳英信流の稽古に適した刀とはどのようなものか、林崎甚助公に倣い、より不利な状況を以って稽古とする視点で考察してみます。
無雙直傳英信流の名称に讃えられる江戸前期~中期の人、当流七代 長谷川主税助英信師の頃には、抜刀の形は室町から江戸初期の源流に近い時代と違い、打太刀をたてない独演形となっていて、長刀で稽古する意味も薄れています。
業も神夢想林崎流のように納刀で相手に触れている極限の近接状態からではなく、抜刀に支障が無い程度の間合での攻防を想定した業が殆どであり、むしろ対手より短い得物のほうが不利な状況ともいえます。
例えば現代に伝承される「正坐之部」では、「受流」「附込」「月影」等明らかに対手が先を取っている想定もありますが、そのほかは「敵の害意を察して」といった抽象的な「後の先」想定であり、これを心持に留まらず具体的な「後の先」で指導している道場は多くありません。
「立膝之部」はその殆どが対手の仕掛けから始まる具体的な「後の先」想定で、林崎源流のよすがを垣間見る事が出来、打太刀をたてれば仕太刀が長刀で制する稽古として意義のあるものと思います。
ただし、古傳では「立膝之部」に相当する「英信流居合之事」の次に棒術「棒合」「棒太刀合」を稽古し、その後「大小詰」「大小立詰」と続きますが、居合膝に坐した仕太刀に打太刀が仕掛ける想定はこの「大小詰」に継承され、より高度な技術として刀は抜かず和術(柔術)で制する業に昇華し、刀の長短は拘る処では無くなります。
現代伝承されている居合に話を戻すと、最後の「奥居合 居業之部・立業之部」では「脛囲」を除きまた心持の「後の先」となります。
「正坐之部」「立膝之部」と稽古を積んだ暁の極意である奥居合は、未だに「長い刀を相手より速く抜く」だけの稽古ではないと考えます。
ある程度間合を取っての「先の先」ばかりであれば、長刀での抜刀稽古も意義があるやも知れませんが、たとえ具体的な想定が失われ、心持ばかりであっても当流は(古傳では仕物業など例外はありますが)本来「後の先」です。
そこには抜き合いの速さだけではない理合をも内包しているはずです。
そこで、次回は古傳の業まで遡り、当流における稽古に適した刀の条件を雑考します。
无拍
2019年10月1日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之五
無雙直傳英信流の古傳には、神夢想林崎流のように打太刀をたて実際に対手を制する稽古業として「太刀打之事」「詰合」「大小詰」「大小立詰」「小太刀之位」「大剣取」といった仕組(組太刀)がありました。
しかしこれらは神夢想林崎流に残るような林崎源流のものとは大分様変わりをしていて、後述しますが土佐から現代に伝承される無雙直傳英信流には長刀で稽古する意義があまり感じられません。
個人的には、これら古傳の組太刀は後述する無雙直傳流和(やわら、柔術)の影響が濃いと感じています。
まず「太刀打之事」、古傳に云う「大森流居合之事」つまり現代に伝承される「正坐之部」と、現代の「立膝之部」に相当する「英信流居合之事」の次に稽古された「太刀打之事」は、幕末から明治にかけて変化しながらも「太刀打之位」として伝承され、そこから更に現在行なわれている七本の組太刀「無雙直傳英信流居合道形」の元になったと考えられる、十本の仕組です。
因みに土佐の傳書では「事」という字を「業(わざ)」の意で用いているようです。
古傳「太刀打之事」では、ある程度間合が離れた処から歩み寄り、打太刀が仕太刀の膝に抜き付け、仕太刀が虎一足の如く抜き合わせ「留める」処から始まる業が二本、仕太刀が納刀のまま、抜刀した打太刀に歩み寄る業が一本、その他は互いに抜刀した状態で歩み寄り切り合う業です。
仕太刀が納刀で始まる三本の業は、初太刀に関しては長刀のほうが不利な稽古といえますが、仕太刀は後の先で「切る」わけではなく、抜き合わせて「留める」のであって、「後の先」で抜いて切り勝つ抜付けの速さを重視したものではないようです。
業の本体は合刀した状況から変化して対手を制するもので、長い刀が不利なのは初太刀の抜刀のみです。
抜刀後、または抜刀して歩み寄る業においては、仕太刀が打太刀より短い刀の場合、打太刀を制するにはより深く間合に踏み込まねばならない為、仕太刀は短い刀を遣うことで、より不利な状況で稽古ができると考えます。
次に、「極意たるに依而格日に稽古する也」とされる「詰合」です。
こちらも幕末から明治にかけ多少変化しながらも伝承され、二十一代宗家 福井聖山師が映像に残している「詰合之位」十一本の元となった仕組で、古傳「詰合」では十本になります。
(「詰合之位」十一本目は、「太刀打之事」十本目「打込」が付加えられています。)
十本中、最初の五本は互いに居合膝に座して向かい合った状態から業を仕掛けます。
この五本も太刀打之事と同様に打太刀が仕太刀の膝に抜き付ける処、仕太刀は抜き合わせて留め、その後の変化が業の本体になります。
やはり抜付けの技術を重視した稽古業とは思えず、あまつさえ合刀ののち仕太刀が刀を手放してしまう業まであります。
六本目は仕太刀のみ納刀して座している処へ、抜刀した打太刀が遠間から歩み寄り切り掛かる想定、七本目は仕太刀が納刀、打太刀は高山(上段)に構えていますが双方歩み寄らないと届かない間合を取って立っており、八本目以降は互いに抜刀し遠間から歩み寄るものです。
いずれも長刀のほうが有利とも云える状況で、稽古としてはやはり短い刀のほうに意義がありそうです。
今回は長くなりましたが、もう少し古傳の検証を続けます。
无拍
2019年11月1日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之六
詰合の次に稽古され、「是は業にあらざる故に前後もなく変化極まりなし」「気のり如何様ともすべし」とされる「大小詰」「大小立詰」では仕太刀が太刀を差し、打太刀は小太刀(脇差)を差して稽古します。
そして打太刀が仕太刀の柄を押さえたり、手を掴んだり、後ろから鞘の鐺を取ったり組み付いたりと、英信流居合之事(現代居合の立膝之部に相当)と同様、打太刀から仕掛け接触する処から始めます。
一見、長い刀が不利なように見えますが、実はこの業系では一部の応用変化を除き、仕太刀、打太刀とも刀を抜きません。刀を抜かずに相手を制する和(やわら、柔術)の技術系統であり、刀身の長さは最早関係のない要素です。
打太刀が小太刀を差しているのは、近接戦闘で有利な小太刀を差した打太刀を、抜く間も与えず仕太刀が制する、という意気の表示かもしれませんが、この稽古業では全ての先手を取る打太刀はそもそも抜こうとせず、組み付いてくる処から始まる手附です。
これは単に打太刀が投げられたり極められたりした際、受身の邪魔にならない為もあるかもしれません。
そして「大剣取」、これは和之位にありと伝わる秘中の秘で、最初の四本は仕太刀が小太刀、打太刀が太刀を用い、長短の利は完全に逆転しています。
そして太刀を差した打太刀の間合に仕太刀は不利な小太刀を引っさげて踏み込み、小太刀をもって太刀を制する業を稽古します。五本目からは相寸ということで双方太刀を使いますが、この「大剣取」は入身と体裁きで対手の柄口六寸を制する英信流武術のいわば根元であり、無刀に通じる部分をも多分に含んでいます。
「大剣取」のあと、居合業としては最後に記されているのが「抜刀心持之事」、これは現代の伝承では「奥居合」となった業系です。
その冒頭には「格を放れて早く抜く也 重信流」と銘じられており、形稽古の理合を得たのちは格(形、居合の型)を離れ、居合わせ如何様にも変化する心持を傳えています。
「大小詰」「大小立詰」「大剣取」は和術を根幹としており、当流七代長谷川英信師、八代荒井勢哲師が師家として教授した、無雙直傳流和という柔術を表芸とした流派の傳書目録に、これと相当すると思われる名称や手附が残っております。
これらの業は林崎源流の流れではなく、長谷川英信師の無雙直傳流和からの伝承と不肖乍ら推測しています。
さらに江戸後期までは併傳武術として「坂橋流之棒」「夏原流和之事」も教授されていたようで、これらも無雙直傳流の「和棒縄居合目録」の和目録などに同名の業が多数有り、長谷川英信師の教傳と考えられます。
上記の土佐に伝わる英信流古傳は全て、七代 長谷川英信師に師事した八代 荒井勢哲師が九代 林守政師へ伝えた内容を、十代 林政詡師が書き記したとされる文政二年に記された傳書の寫本文献に残っています。
他に幕末、土佐藩主山内容堂公へ英信流を指南した十五代 谷村自雄師の書に「小太刀之位」という、小太刀を以って太刀を制する入身を重視した他の傳書では見られない手附もあり、無雙直傳英信流とは抜刀術専門の流儀ではなく、元々は総合武術流派であったと認識しております。
今回も余談が長くなりました。もう少し続けます。
无拍
2019年12月1日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之七
これまでの考察から、江戸中期の土佐から現代に伝わる無雙直傳英信流では源流のように長い刀を使う稽古上の効能はあまり重要では無いと思われ、個人的にはむしろ短い刀に稽古の滋味があるのではないかと考えます。
因みに当流の伝承された土佐では幕末、志士の間では「土佐のながかたな」と言われた程に長寸が流行ったようです。
しかし幕末の土佐人ではあっても藩士として戊辰役にも出征した当流十七代 大江正路師は、写真で拝見する限り当時としては体格がよいかたですが、あくまで常寸である二尺三寸の刀を差したとのことで、写真でも常寸で稽古をされていた様子が窺えます。
余談ですが大江正路師のお孫さんの著書によれば、よく云われる「まさみち」ではなく「まさじ」とお読みするとの事です。
また、大柄な大江師に対し二十代 大阪出身の河野百錬師はこれも残された動画を拝見する限り小柄なかたでしたが、愛刀肥前國陸奥守忠吉は二尺四寸八分、三百五匁(1,143g)と長め重めでした。
居合の初心者は二尺足らずの刀を抜くのも難しいものです。
しかし昔から云われる刀の長さの目安、身長より三尺引いた程度の長さ、江戸期の平均身長が五尺三寸(約160cm)程度として二尺三寸の刀ですから、現代人で身長170cmくらいの人なら二尺六寸程度は常寸の範疇で、稽古すれば楽々抜き付けることができます。
流石に源流のような三尺三寸刀となると、抜き差しは出来ても現代の英信流業を楷書で抜き付けるのは難しいと思われますが、先述の身長引く三尺程度までであれば、長短は稽古次第で問題の無い範疇かと思います。
また重さ、反り、重ね、身幅に関しても、現代の抜刀などで使われる試斬専用の現代刀にあるような尋常でない豪刀はともかく、古刀から新々刀における尋常の範疇であれば自身の体格に合わせ無理がなければ問題ないと考えます。
ただし重心に関しては長さ重さに関わらず、操作性に大きく影響する要素であり、居合刀としては留意すべきです。
手元重心は刀が軽く取り回せる反面、刀の理が感じ難く、刃筋を通して物打に重心を乗せるという理合から離れがちです。
逆に先重心は、刀の通りたい刃筋を刀に任せて切る理合が体感しやすい反面、取り回しが難しく、関節や筋肉に無理が来ることも多くなります。
どちらにしても、その刀が最大限能力を発揮できる理合で稽古すればよい話ですが、個人的な所見として初心は偏った癖がつかないよう、あくまで正速強威を弁えた稽古を前提として、手元重心よりは多少先重心気味の刀を使う事に利有と考えています。
さらに茎(なかご)と刀身の支点位置、共振点と柄形のバランスも関わってきますが、不肖の知識では語れる範疇を越えてしまいます。
また結局の処、総合的には実際に持ってみなければ判りません。
居合に使う刀を初めて購うときは、可能であれば道場の先達に色々振らせてもらい様々なバランスを体感しておき、寸法や重量だけではなく実際に持って構えてみることです。
无拍
2020年1月20日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之八
今回は刀と我を繋ぐ唯一の(颪など直接刀身に触れる業もありますが)接点である、拵について考えます。
拵は藩や国、流派により特色のあるもので刀剣の見所の一つですが、居合においてはやはり使い勝手に関わる重要な要素となっています。
特に刀の操作に大きく関わるのが柄です。
柄の拵としては太さ、立鼓の取り方、柄巻、縁頭金具、目貫の位置など、様式によって色々な特色や掟がありますが、好みのもので良いと考えます。
但し、当たり前ですが休め鞘(所謂白鞘)は使えません。
漫画やアニメでは白鞘のまま抜き差し振り回している事がありますが、休め鞘は柄も鞘も必要に応じ左右に割って中の錆を掃除する為、ソクイ(飯を練った糊)で張り合わせただけです。
強度的に問題外で危険であり、また鞘側にも栗形が無い為、帯から抜けて落としてしまいます。
柄の拵には新陰流の柳生拵の様に手溜りを考慮して目貫の位置が独特なもの、示現流の薩摩拵の様に自流の斬撃を強からしめる為の柄形、伯耆流居合を嗜んだ細川忠興の意匠である肥後拵など、それぞれ今で云う用の美が感じられ面白いものです。
ある文献に拠ると、江戸時代には一般的な拵で八寸五分前後だったようです。
古田宮流などでは長柄の得と云われ長刀に見合う長い柄を用いたようですが、当流のような常寸を使う流派ではあまり長い柄は使われていません。
無雙直傳英信流において、当流の手之裡としてよく云われる「拳の間が指二本」は、当流二十代河野百錬師の著「無雙直傳英信流居合道」にある「食指中指の基部の入りえる程」に基づくものと思われます。
参考に同じく二十代河野百錬著「居合道真締」の一部を抜粋します。
「(前略)柄は八寸を度とする。縁金と頭金具を避けて諸手をかける(中略)私は多年来肥後拵への渋みを好み、柄は皮柄中くぼみ巻七寸と七寸五分のものを愛用しているが、縁頭が五分で握った両拳の間隔は下部で一寸から一寸五分程あいておる」
これに基づくと当流の手之裡でよく云われる「拳の間は指二本」になると思われます。
さらに、二十一代福井宗家直門の先生から、福井宗家の手之裡は指一本半とのお話を伺ったことがあります。
小柄な河野宗家に比べ体格の良い福井宗家であれば、やはり柄七寸から七寸五分といったところになるかと思います。
蛇足ですが不肖の手之裡は七寸五分の柄で丁度指二本の間隔、不肖の指二本基部の幅は凡そ一寸五分でした。
実際は個人の掌の大きさや指の長さ、柄形や柄巻にも因るとおもいますが、当流の現代業を行なうには長柄は特に必要ではなさそうです。
また、鍔には前回の稿で触れた刀身の重心を調整する役割もあり、先重心の強い刀身には釣合いを取る為、重めの鍔を装着したりします。
観賞用としては好みのもので構いませんが、居合の使い勝手の面では気にしたい処です。
鞘は刀身の長さに加え、油落しと云われる延長部があり、刀身より長くなります。
江戸期においては、一般的に柄と鞘の長さが一対三の比が多く用いられたようです。
常寸の鞘が大体二尺六寸として、三分の一は八寸六分強、ほぼ定説通りです。
現代の模擬刀でも、御土産用の時代劇に出てくるような拵ではやはり八寸五分強くらいですが、居合練習刀として売られているものは少し短く八寸くらいのようです。
余談ですが、美術刀剣の造詣が深い兄弟子によれば、後述の肥後拵などで美しいとされる対比は一対二と半、だそうです。閑話休題。
鞘も基本的には好みのもので良いと思いますが、太刀拵は腰に佩く帯刀なので、刃が下になり当流には不向きです。
柳生拵や肥後拵の中には鞘の厚みや栗形の位置を工夫したものもありますが、絶対的に必要な条件ではありません。
唯一、颪や行違などの柄打業の邪魔になる為、当流においては居合刀には返り角が付かないものが使い良いと考えます。
无拍
2020年3月28日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 其之九
長々と考察してきましたが、現在武道具メーカーから居合練習刀として販売されている模擬刀は、当会の考える現代居合道の稽古に適する条件をほぼ満たしたものが製作されています。
当会の初心稽古に限定しての観点で述べれば、初心のうちは居合練習刀で十分であり、また益有りと考えます。
真剣は本来殺傷能力抜群の兵器であり、取扱いに習熟していなければ自他を危険に晒す為、初心者はまず模擬刀(これですら斬突可能ですが)で刀の扱いを覚えるべきです。
さらに真剣は我々の先祖の時代から数々の人手によって手入れされ、受け継ぎ、残されたものであって、今所有者である人は一時的な所有者であり、いずれは次の人に託し残して往かなければならないものと考えます。
真剣は扱いを知らなければ容易に傷み、錆朽ちてしまう繊細な美術品でもあるため、この観点からも初心者は模擬刀での稽古が好ましいと思います。
居合練習刀を選ぶ際に注意しなければならないのは、コスプレや装飾、御土産用に販売されている見た目のみを重視して作られた模造刀です。
これらは強度の点で非常に危険な物も多く、絶対に振ってはいけません。
厄介なことに、これらは現物を手に取ることが出来ないネット等では「居合刀」と冠されて販売されている場合が多くみられます。
居合練習刀は、少なくとも武道具店などの専門店での購入をお勧めします。
ただし専門メーカーの練習刀でも各社反りや重心に違いがあり、また先述のとおり流派によってある程度長短の傾向はあるので、まずは道場の先生に相談するのが間違いないでしょう。
この私見の初稿で述べたとおり、本来真剣においては一振りとして同じものは無く、それぞれ個性をもっています。
当会に限り強いて云えば、当流で常寸と云われる二尺三寸五分、二十代宗家の規定する柄八寸を凡その目安とし、そのうえで各個人の体格に見合う体配であれば、自分の好みにあった個性の刀がその人の居合に適した刀であると考えます。
さらに居合を武術として稽えるのであれば、どのような得物も最大限の能力を引き出すのが居合であり、全ての刀は稽古に適するものとして相対すべきが居合であるとかんがえるものです。
長くなりましたが、「無雙直傳英信流における刀についての私見」を終わります。
无拍
2020年4月20日 初出
無雙直傳英信流視点における刀についての私見 蛇足
肥後拵について
居合拵といえば不肖には肥後拵がまず浮かびます。
肥後拵の本歌は、利休七哲に数えられる茶人であり伯耆流居合の達者であった戦国武将、細川三斎忠興が創作した様式で、侘びの心を取り入れた拵です。
細川三斎自ら意匠したとされる歌仙拵、信長拵、希首座拵などの本歌の他、本歌の特徴を踏襲し、縁金具や鍔の名工を熊本へ招致して製作させた肥後金具を用いた拵を肥後拵として、肥後金工の手ではない金具で本歌に似せた様式の拵を肥後風、もしくは肥後拵写しと区別する事もあるようです。
現代の居合道界においては、本歌の特徴に準じた拵を総じて肥後拵とされているようです。
本歌は一見、侘びの粋を集めた茶器のような拵です。
而してその実は居合を嗜んだ三斎公が、現代で云う所謂「用の美」を追求した、実戦的な装備と云われています。
肥後拵とされる特徴には様々な掟がありますが、ここでは武的特徴をいくつか紹介します。
まず柄は七寸程で刀身は二尺前後、これは無駄な長さを排して初太刀の片手打を重視し、柄も衣服に絡んで不覚を取ることが無い為と云われます。
柄頭は四分一などの金属製で丸みのある形状、これは柄打の攻撃力を持たせ、さらにこれも袖など衣服に引っ掛かりにくく、いざという時に遅れをとらない為の形状です。
通常、所有者の美意識を籠めた注文拵などは金具や鍔、目貫の意匠を揃えたり、洒落や物語性を含んだ「一作物」が多いのですが、肥後拵には縁と頭の金具が意匠違いの場合も多く、これを「取合せ」といって侘び茶の“あえて外す”粋とみるようです。
柄巻は燻べた鹿の裏革で巻き、強度と握った際の手之裡の馴染みを向上しています。
柄鮫は惣巻きで漆掛けしており、やはり強度向上と漆掛けによる防水性を考慮されています。
鞘は栗形の位置が指三本と云われ、通常の位置より鯉口寄りに狭くなっていますが、これは鍔と栗形の間を左手で握れば、親指を鍔に掛けなくても鯉口が切れることを狙った意匠となっています。
栗形には肥後熊本藩細川家の熊本形、家老筆頭の八代藩松井家の八代形があり、拵を見ればどちらの家臣か判るようにしていたとの事です。
また、栗形の差裏には通常小柄櫃を設けますが、小柄の無い場合も一文字の裏瓦を配するのが掟です。栗形裏に緩衝材として配置し、強度のバランスを取っていると考える拵師のかたもいます。
鞘は惣鮫巻に漆を掛け研ぎ出した本歌や、塗鞘に印籠刻みのものなどが知られています。
惣鮫鞘は研ぎ鮫に詫び茶器の梅花皮を見立てていることもありますが、強度を上げる役割も大きい処です。
場合によっては鞘も武器として用いる心構えの証左ともいわれます。
鐺金具は泥摺と呼ばれる鉄製を用い、これも強度と攻撃力を向上してあります。
よく出来た肥後拵は水に飛び込んでも刀身は濡れないといわれ、「照り降り知らずの墓場刀」とも謳われたとの事です。環境の変化に強く、墓場で立ち回り墓石にぶつけても平気なほど丈夫という程の意味だそうです。
不肖の師である清田泰山師が肥後細川藩士族の家系であり、御自身も刀装具の製作を嗜まれたこともあり、不肖も日頃より肥後写の拵を使い稽古しています。
以上、無雙直傳英信流視点における刀についての私見 蛇足でした。
无拍
2020年7月20日 初出(再掲時一部修正)
