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一般的なマナーや礼儀について、マナー講師は細かい礼儀作法をレクチャーしたうえで、相手を思う心があれば、細かい作法は大きな問題ではない、と言われます。
逆に云えば、如何に作法が優美端麗であっても、心が籠って無ければ慇懃無礼ということです。
居合の業についても同じことが云えるものとかんがえます。
居合道は業の事理一致を求める稽古を通じ、道の修行とするもので、まずは正しい形を追求すべきです。
ただし幾ら綺麗で豪壮な形を演じられても、常に対手を見立てた業でなければ、それは武術ではなく、ただの運動です。
独演形の居合業で相手を見立てるには、実際に組太刀で三つの間を学ぶことが肝要です。
武術でよく言われる三つの間とは、距離、時間、心の駆引きです。
他武道で組手、乱取り、スパーリングなどを経験している人は理解できると思います。
江戸時代後期、竹刀打ちの流行について中西派一刀流の四代目中西忠兵衛子正師は、稽古としての有効性は認めつつ、流儀の組太刀を疎かにしては素人の切り合いであり、好き勝手に打ち合い器用な者が勝つだけで、もはや武道ではなく真剣の役に立たないと嘆きました。
また昭和の頃、当流第二十代 河野百錬師は「居合とは剣道の一部である」という意見に対し、「居合とは独立した武道であり、居合と剣道は両輪である」と喝破されました。
不肖は当流の稽古において、組太刀は必須と考えます。
江戸時代の当流には太刀打10本、詰合10本、小太刀之位6本、大剣取10本(他、棒術、柔術)が居合の習熟度に合わせ組み込まれており、まさに無雙直傳英信流は独立した武術でした。
廃刀令以降、当流は板垣退助伯の肝煎りで辛くも失伝の危機を乗り越えましたが、それでも多くの古傳を失いました。
幸いにも第十七代 大江正路師により、太刀打10本を旧制中学生向けに再編した「英信流居合道形」7本が残され、現在でも組太刀を稽古することが出来ます。
当会では正坐之部を修了した者から組太刀稽古に入ります。
これも申し合わせの木剣ぶつけ合いではなく、形に籠められた「勝つための理合」を稽え、単調なリズム運動ではなく打太刀の気に乗り遣うことで間の稽古と成り得る、とかんがえるものです。
また、当会の上位団体「藏會」傘下の古傳研学所 玄晟館では、先述の古傳組太刀を研究稽古しており、当会の立膝之部を修了した者で希望者はこれも稽古しております。